75回目の8月15日

8月15日、お盆でもあり終戦記念日でもあり。
こんなにたくさんの方のことを想う1日ってなかなかないものですね。
お盆で亡き故人を思ったり。
また、このお盆という日に普段は集まらない親戚などと会えたり。

今年は祖母の初盆で、たくさんの親戚が集まる機会だったのですが、帰省を控えたため地元に帰れず😢

でもいとこたちが、元気にお墓で花火ではしゃぐ還暦超えの親たちやおじ、おばの写真や動画を送ってくれて。
(長崎だけらしいですが、お墓で花火や爆竹、ロケット花火をバンバンやります!)

遠方とはいえ、元気そうな姿が見れて安心しました😄
それと同時に75回目の終戦記念日でもある日。

戦争で亡くなった方だけじゃなく、生き残られた方たちも被爆者というだけで差別を受け、結婚、妊娠の度に被爆者であることと向き合わないといけなかったり、差別のひどさに戦争のことをずっと誰にも語らずにいたり。

「戦争のことは話したくない」
と頑なに心に蓋をしていた方たちも、自分たちが目にしたこと、体験したことを伝えていかないとこのまま風化してしまうと、テレビのインタビューで涙ながらにお話しされていました。

75年前のことを、まるでつい最近の出来事のように鮮明に話しておられたことに、心に深く刻まれた恐怖や悲しさの強さを感じずにいられませんでした。

私が生きてきた中で、ここまではっきりくっきり鮮明に話せる過去ってあるのかな。


子供の頃から、長崎では
8月6日8時15分
8月9日11時02分
にはサイレンが鳴り、夏休みでも登校し平和について学ぶ機会がありました。

神奈川に引っ越してきて2回目の8月。
サイレンが鳴らないことに違和感。
長崎にいた時よりもより原爆のことを思うようになった気がします。

原爆が落ちてまだたった75年なんですよね。
祖父母は被爆し、両親も生まれるほんの数年前の出来事。

なのに、まるで遠い昔の歴史の話を聞いてるかのような感覚なのは、時代の変化のスピードでしょうか。

今はコロナが騒がれていますが、まだ医療が発達してなかった大昔にも何度も疫病が蔓延したこともあるし、さらに75年前の原爆投下も生き抜いた。
そんな先祖から受け継いだDNAはきっと最強だな、と思わずにはいれません。

繫いで頂いた命を大事に活かしていかねば。

今日テレビで見た、被爆によるケロイドを18回もの皮膚移植手術で治療をしてきた女性の言葉。
こんなにたくさんの手術をしたけど、自分の望む体には戻らなかったと。

インタビュアーの綾瀬はるかさんに向かい
「この柔肌を傷つけることなしに成長していっていただきたいと思います。

あなたの肌が美しいのがとてもうれしいです。


とても心に残った言葉でした。

セルフコンディショニング プレラ

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